死者の書2

映画の印象が強くて、何を見てもそれ関連付けて考えてしまう。。本当は話が通じる人と思う存分語りたいのだけど、そんな人はいないので、ここで呟いてみる。
折口信夫って、「のぶお」だとおもってたら、「しのぶ」だって。名前は見たことあったけど、読んだことなかった。
柳田國男の弟子だそうだ。
柳田國男は高校の頃に民俗学に熱中していた友人に紹介されて、かなり読んだけど(学校に全集があったからね)。
彼の本はミステリーの謎解きのようで、高校生の私にも面白かった。
折口は生涯同性愛傾向があり、柳田は批判的だったそうだ。
あ、こんな一文が。。
「三十一才の時の大正六年に郁文館中学校の教員を数か月間だけ勤めている。
 折口が夏休みに沖縄に調査旅行に行ったきり九月になっても帰ってこないので、学校は困って辞めてもらったという。」
ありゃあ、沖縄病患者のはしりか?
死者の書で郎女のとなえることば
「なも あみだ ほとけ 『あなたふと』」
沖縄で仏壇を拝むことば、「うとーとー」のようだ。
姫が神隠しになったときに乳母がひく空弓、
源氏物語でも、夕顔の巻でもののけを払うのに弓を鳴らしていたけど、全く同じことをこのあいだテレビで紀子様が懐妊されたニュースでやっていた。皇室にはまだそういう伝統が残っているのね。。
物の怪を払うためのあしぶみを反閇というが、
岡野玲子の陰陽師の中でも出てきた所作だ。
すり足で鬼を踏んで鎮める。
すもうの土俵入りなんかもそういう意味があるのかも?
政治的敗者で悲惨な死に方をした人間を神にまつってたたりから逃れるという方法が古くからあるけど、
A級戦犯を靖国神社に祭るなんていうのも、あんがいそれに近いのではなかろうか。
さっき杉浦日向子の番組をやっていたけど、昔読んだ彼女の漫画の中にゆれい話があった。
あるサムライの死んだ妻が井戸のほとりに出るという。
何か心のこりのものがあるのではと井戸をさらったところ、
こんにゃくが落ちていた。
寝付く前にふと手から落としたこんにゃくに亡き人の執念が残ったらしい。というお話。
死者の書も同じように、死ぬ前に一目見た女性に執念が残ってしまったお話だった。
執念というのは六条の御息所の生霊のように、自分では制御できないものかのかしら?
解脱ってそういう執念から離れることなのか。。