視線

娘が生まれてまだ実家にいた頃。まだ目がみえてるのかどうかわからない頃でした。赤ん坊の娘は仏間の閉まった襖をじーっと見ている事が多かったです。
もちろん、だれもいないし、何も無い。少々気味がわるかった。
そこで、はっと気が付いた。襖の取っ手●|●、あれが目にみえるんじゃなかろうか?
そこで、ボール紙にマジックで[●●]を描いて顔の前にかざしてみたら、ちゃーんとおぼろげな目で追っかけてきました。
(ホッ。。霊が見えてるんじゃなくてよかった。。)
人間の子供は母親とコミュニケーションをとらないと生きていけないので、人間の顔、特に2つの目を最初に認識するそうです。そして、反射的に顔真似をする。
じっとみつめて口をあけると赤ん坊も口をあけます。
顔の筋肉が発達してくると笑いますよね。笑いかけると、おなじように笑顔で見つめ返す。そんな風な無垢な笑顔で見つめられると、こっちはさらに可愛く思って笑顔になる。
その繰り返しで、母と子の強いきずなが生まれるらしいです。
何年か後の話。
隣に住んでるとってもこわがりな男の子が、意味も無く怖がるものがありました。
それは扇風機と風船。それがあると必ず泣くんです。
「扇風機が、風船がボクを見てるよ~こわいよ~!!」
今考えると、どれも茎があって頭が付いている。しかも頭の部分は微妙に動く。
目は付いていなくても、視線を感じたんでしょうか?
そこで、花の話にもどるんですけど、
こわがりの男の子はでっかいヒマワリなんかも怖がってた。
花が人間の感情をかきたてるのは、警戒色で緊張を与える上に意識していなくても顔に見え、視線を感じるからじゃなかろうか?
人がいるときに花を見るとウキウキするのは、もともとウキウキしていた感情が、花の数だけの視線が加わって増幅するから。
人がいないときに花と対峙して感じる薄気味悪さは、生きてる人間がいないのに、視線を感じるから。すなわち、それは生きてないモノの視線。
なぜ花の話でそんなにひっかかったか、これで納得したようなな気がしました。
本当はそんなこと考えてる暇ないんですけど。
ゴールデンウィークに始めた家の片付けが家全体の模様替えに移行しまして、他のメンバーは会社や学校へ行ってしまい、私は引越し前じゃないかって程の混乱と格闘しております。
次の仕事がスタートする前に仕事場を2階に移動するつもり。
これがすべて終わったら、花でもかざってみようか。