戦争のハナシ

朝のテレビで戦争体験のハナシしてたので、わたしも書いておこう。
もちろん戦後生まれなので、家族、特におばあちゃんが時々話した戦争バナシですが。
原爆落ちたとき、おじいちゃんは広島で被曝、歩けないほどやけどが酷くて、戸板に載せられて帰ってきた。
うちの父はまだ14歳中学生。鉄道の作業で広島に向かう途中、市内に入る手前で8:15を迎え、そのまま線路を歩いて引き返したという。
父の兄の嫁であるおばあちゃんは、実家の仏間で何かやってたときに、ピカッと光って、なんだろう?と走って表に出た時にドーンという音を聞いたという。(広島から約30キロ地点)
母はまだ小学生で、やっぱりピカッと光って、なんだろうと海の方を見ていたら、しばらくしてドーンと音が聞こえたという。(広島から約60キロ地点)
父の姉が今の原爆ドームのすぐ裏あたりに住んでいて、一家全滅。
本当に骨ひとつ残ってなかったという。
毎年お盆のお墓参りは、命日が8月6日になってる一家全員死亡のお墓にも線香を上げに行く。
(後日談があって、戦後40年目にそこの娘さんが江田島で名前を言い残してなくなっていた事がわかり、遺骨が帰ってきた。当時生きていた彼女の祖母がとても喜んだ)
うちのおばあちゃんは原爆の後に探しに市内に入って、ひどい光景を見たらしいけど、あまり語らず。
ただ、私が若い頃、平和公園の近くでマンドリンクラブの打ち上げをオールでやったというと、呆れたように、原爆の後あのあたり足の踏み場もないほど死体があったのに、あんたは幽霊のひとつも見ないだろう?だから幽霊は存在しない、、と、非常に論理的な事を言ってた。
つづく・・