【ギタぽんが出来るまで】10 習い方を習う

何かをまともに習ったことがなかったので、最初から変な生徒だったと思う。
ギャラの発生するようなステージもたまにこなしてたから、不遜にも自分はそこそこ弾けると思い込んでいたので、「タッチを改善したい・コードを知りたい」と宣言して教室に行きはじめた。
教え始めたばかりの若い先生にとっては、非常に教えにくい生徒だったと思う。
青本というギター教室の定番教科書をテキストにスタートしたけど、7ページ目の単音の音階でのプランティング(その時はそういう言葉ではなかった。「空間を生かす」と言われた)でストップ。どうしても言われたように出来ない。
単音の音階を6ヶ月。これはきつかった。
この前深代さんに新堀の頃の話を聞いたら、昔はそういう根性を鍛える系の修行は普通だったみたい。imできれいな音を出せないとソロは弾かせてもらえなかったという。

空間を生かして次の音の準備のために弦に指を置くと音が消える事に葛藤があった。
それじゃあブツブツと音がきれちゃうじゃないか、今より下手に聞こえる。
歌うように弾けというのも抵抗があった。
ブツブツした音で単純なメロディーをめっちゃ大げさに弾いたら、恥ずかしいよ。
その場で歌ってみなさいと言われるのも非常に嫌だった。歌えないからこそ、ギターを弾くようになったのに。。
半年はギターを頑張ったけど、そろばんやお習字を思い出した。やっぱり習い事は無理なのかな、辞めちゃおうかと思っていた。

そのタイミングで、先生の師匠、田部井辰雄先生のコンサートを勧められ、聞きに行った。

素晴らしい演奏会だった。特にグランソロが記憶に残っている。
まるで当時の自分の心情そのもののような重苦しい音の重なりから始まる。突然、なにか話しかけられているような曲調になる。そうかそうか、辛いんだね、でも大丈夫、それでいいんだ。と、すべてを肯定するようなエネルギーに溢れた明るい曲調で進んで行き、いつの間にか音楽にとりこまれて、曲が終わったとき、私の心は喜びにあふれて、何故か涙が流れていた。

なんだこれは!!音楽を聞いて涙が出るなんて、テレビで見た「美空ひばりの悲しい酒」以来だ!!
それまでクラシックギターのプロの演奏を生で聞いた事がなかったので、それほど強烈な体験だった。

遥かに昔、セゴビアのLPを聞いていた頃の記憶が鮮やかに蘇り、あんな風に弾ける人が現実に存在することに衝撃を受けた。
習ってた先生も田部井先生のところに通って修行中だったが、その先生の弾くバッハ、たしかリュート組曲のサラバンドが、とてつもなく透明で、胸を締め付けられるような演奏。どうやったらそんな風に弾けるのか見当もつかない。
先生に「いっしょに頑張りましょう」と言われ、そんな風に弾けるようになるためなら、ガンバロウと思った。
自分は大人のプライドを捨てて、習う時は子供の気持ちになろうと決めた。
先生には、ギターだけじゃなく、「習い方」を習い始めた。

前へ 次へ