【ギタぽんが出来るまで】18 弾けなくなり、弾けるようになる

ブラーボ先生の最初のレッスンで、何か弾いてみてくださいと言われ、バリオスのワルツ4番を弾いた。
その曲でコンクール優勝したので、得意だと思ってたから。
弾き終わったあと「何が直したいですか?」と聞かれた。私は「キレイな音が出したい、右手のタッチを直したい」と答えた。
先生によると、「右手より、左手から雑音が出ている、でも右手からも雑音が出てイマス」という。
両手?!
私には最初その雑音が聞こえなかったけど、詳しく指摘されてるうちに、聞き分けられるようになった。
一回聞こえると、もう耳についちゃって気になる。

「その雑音をださないように弾いてみてください」といわれてたら、いきなり1音も弾けなくなりました。

前の先生の時と全く同じです。流儀が変わると、弾けなくなる。

でも以前の時のような気持ちにはならなかった。だって、私は前の先生に「習い方」を習ったから。
問題点がわかるのはなんと嬉しい事か!先生の指導で、そのうち解決することはもう決まってるから。

問題は山のように掘り出され、ひとつずつ攻略の仕方を教えてもらうレッスン。面白い!面白すぎる!
しかし、頭で理解できても、どうしても出来ないこともある。
それは保留にして先に進む。しばらくすると、保留の課題が解決していることがある。
上達は練習量だけが影響するわけでもない。時間で発酵するのかな。不思議だ。

ある日教室に入ったら、先生はパソコンで写真を見ていた。
何の写真だろうと覗き込んだら、抽象的なモノクロ写真で、森の中で霧に迷ったような写真だった。「死ぬってどういう感じかな、こういう感じかな、、」と
ブラーボ先生のお父さんが亡くなったという。アルゼンチンは遠いからすぐには帰れないという。
「さ、レッスンしましょう!」とすぐに笑顔でレッスンに入ったけど、先生の感情の揺れと悲しみがパソコンの写真から伝わって来るようだった。

私の父は突然死に近い形で死んでしまった。
もう80歳もすぎていたし、ぴんぴんコロリでうらやましいとも言われたし、長患いにならなくて、苦しまなくてよかったんだと自分でも納得したし、泣けなくても不思議とも思わなかった。
でも悲しみは心の底にたまっていたようだった。
コンサートで、ブラーボ先生のアディオスノニーノを聞いたとき、押さえようのない悲しさが襲い掛かって来た。
ピアソラのお父さんへの想いと、ブラーボ先生のお父さんに対する想いが、私の中の父に対する想いを呼び起こして、嗚咽するほど泣けた。。
そして、なつかしい感情、愛、小さいころの思い出、おとうさん。。。

音楽による感情の浄化、音楽で心が癒されるという感覚をはっきりと感じた。
耳から入ってくるだけで、人に触れもせず、こんなに人を動かす。
音楽はやっぱり魔法だ。
音楽を学ぶ事は、魔法を学ぶのと一緒だ。