たーちゃんのキノコのお墓
たーちゃんが逝って1週間以上経ちました。
最初の三日間くらいがきつかったかな。
ケージを片付けてからは落ち着きました。
今日はきりよく、8月の終わり。
たーちゃんのほんのぽっちりの骨を庭のバラの根元に埋めました。
墓石はだれかに貰ったキノコの置き物。こりゃちょうどいいや。
たーちゃんには、すねこすりとなってもいいから家にいて欲しいと思ってたけど、気配すら感じられません。
何の未練もなく、とっととイタチ天国へ行って、ベロ出してぐっすり眠ってる気がする。
わたしは情が薄いのかなあ。。もうあんまり悲しくも寂しくもないです。
ふんわり暖かい感じだけが残ってます。
ディスカッション
コメント一覧
そうそう、そうだった。
パスタのゲージのあったところにクリスマスツリーを置いたんだった。
温かみのあるものが恋しかったんだと思う。その時にクリスマスツリーの役割を再認識したな。
クリスチャンでもないのに、どうしてツリーなんて飾るかね・・と結構冷ややかに見ていたけど、そういうことだったのかと。
人間長く生きてみるもんだね。
今まで、犬猫が死んでもさほど悲しい思いをしなかった私でしたが、今年猫が死んだのは自分でも驚くほど悲しくて仕方なかったです。
何故だろうと考えてみて、やっぱりそれだけ死が自分に近づいていることを本能的に感じているのでは、などと結論付けたのですが、どんなものなんでしょう。
ああ、もうちょっとは生きたいですね。
大してやりたいことはないですけど。
情が薄いんじゃないですよ。
生きている時に自分の精一杯で愛したら、しばらくは悲しくてもあとは良い思い出が残ります。
私も同じです。だからペットロス症候群にはなりません。
我が家の庭にも幼くして死んだ子猫達が埋められています。
ローズマリーの根元に順番に埋めました。
土に還って綺麗な花と、良い香りの緑のはっぱに姿を変えています。毎日葉っぱに触って、その香りを楽しんでます。
>リュウハハ
いつもの場所にいなくなるってのが、一番こたえるね。
ああ、それが逝ったって事の本質なのかな。。
いきなりケージの場所が空くとさみしいから、1週間置いておこうと思ったけど、3日目に玄関入ったところの空のケージを見たら、発作的に号泣。3人で泣きながら分解しました。お骨も見えない場所に隠した。
見えなくなったら、意外と気楽になりました。
>塾長さん
自分の気持ちの動く法則も理解できないし、制御もなかなか出来ないわたしにはわかりません。どんなもんでしょうねえ。
>にゃんこさん
別れは出会いとセットになっている。
ひとつの生き物の頭としっぽみたいなもの。
やたらと別れを悲しむより、出会ったことが大切だと思えるようになってきました。多少成長したのかもね。
私は90歳まで生きなけりゃならないので頑張ります。
なんで90歳なのかは、みたぽんさんが90歳になられたときにお教えしますよ。
>塾長さん
ええっ、じゃあ後40年以上もブログを続けなきゃ教えてもらえないんですね。。
40年、、5年ずつフェレットを飼いつづけて8匹かあ。すぐですね。