40年遅れの宿題

この前神楽坂で二胡とライブやりましたが、アンケート書いてもらったら、ギターの曲の中では、「禁じられた遊び」が一番人気でした。やっぱりねえ。。
(2番目がアンダルーサで、バリオスワルツ4番一生懸命弾いたけど最下位、、がっくりねえ)
ということで、来月の修道院ライブでも「禁じられ」弾こうと思います。
わたし演奏はたいしたことないから、MCでなんとかしようと思って、「禁じられた遊び」について調べてた。
最近私が弾いている「禁じられた遊び」は、田部井辰雄編で、前奏とサラバンド付きですが、
サラバンドも「禁じられた遊び」の映画の中で使われていました。
作曲者のロベール・ド・ヴィゼーについて調べてみた。
ロベール・ド・ヴィゼー :1650~1725 フランスルイ14世の宮廷音楽家
ヘンデルやバッハも同時代の人みたいです。
ヘンデル 1685- 1759
バッハ 1685- 1750
ん? 母校の創立者マザージュリーと同じ頃?
マザージュリーは1751-1804
ヘンデルやバッハに少し遅れた時代、フランス革命の混乱期に生きた人でした。
ジュリー・ビリアート(1751-1804)
1751 フランスのクビリー村に生まれる
1774 23歳、そばにいた父が銃撃され、父は難を逃.れるが、ジュリーはそのショックで歩けなくなる。
1789年 バスティーユ牢獄襲撃 フランス革命勃発
1804 ジュリー・ビリアートに奇跡が起こり歩けるようになる(53歳)。
1807 ベルギーのナミュールに修道院を設立。
1816 ジュリー・ビリアート帰天(65歳)。
この修道会は貧しい子女の教育を目的としたもので、階級制がない修道会は、当時としては画期的なことだったが、周囲の理解を得られず、好意を示すベルギーのナミュールに本部を移し、名称も「ナミュール・ノートルダム修道女会」とした。
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子供の頃歩けなくて、クララみたいに回復したわけじゃなかったんだ、
娘盛りの23歳で歩けなくなり、障害者として20年以上過ごした挙句、53歳で歩けるようになり、そこから活動をはじめ、65歳で亡くなるまでの12年間に人生の仕事を残した人だったんですね。
中学生の私には何の共感ももてなかったマザージュリー、今なら非常に共感します。
(わたしは信者じゃないので、神様に関してはよくわからないけど。。)
私も10年ほど前に、出勤途中に本当に突然歩けなくなって、仕事もやめ、全く歩けない時期がありました。。これでわたしも障害者なのか、、と暗澹たる数ヶ月を過ごした。(腰椎分離すべりによるヘルニアでした)
そして今、ジュリーが修道会設立に乗り出したのと同じくらいの年齢ですね。
まだまだ死ぬまでには何事かやれる年齢だということでしょうか。
中学生の時、宗教の時間の宿題。「ジュリーの生涯に関するレポート」、出せだせと担任や学年主任に呼びつけられたけど、、とうとう書かなかったが、、
今なら、書けるかも。
40年遅れでシスターに提出しようかな。