花
昨日の話ですが、車に乗ってるときラジオで「花」の話をしてました。
あまり詳しくは覚えてないんだけど、こんな話でした。
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人間は花を見てなぜか食べようとは思わない。
不思議
それどころか、花を見ると美しいと思う。
花を見るとき、
ある人はうきうきと嬉しくなる
ある人は恐ろしく感じる
これは、方向性は関係なく花に心を揺さぶられるという事です。
周りに人間がいると心の揺さぶりはプラスにふれてうきうき楽しくなる。
お花見のように。
一人っきりで花と対峙したとき、坂口安吾のように不吉な恐怖を感じるも多い。
私は外国で、ニオイバンマツリが咲き乱れる人里離れた谷間に一人で入った事がある。
そこで物凄い恐怖に襲われて、実際腰がぬけ、四つん這いになってあとすざりで逃げ出した。そのとき感じたのは神々の視線だと思う。
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とまあ、こんな調子。
岡倉天心の茶の本なんかも引用して、話がとっても面白かったので、スーパーに到着してもしばらく車内でラジオ聞いてました。
だれが喋ってるのだろう?
最初は華道の人が喋ってるのかな?と思って聞いてたんだけど、千葉大学園芸学部の教授でした。名前は忘れたけど。
あの先生の授業はおもしろいだろうな。。。
ディスカッション
コメント一覧
ニオイバンマツリって、花そのものというより、その香りが妖しいのよね。
三月に指宿に行った時に初めて出会いました。
(写真もあるよ)
まだ脳内にしっかり香りが棲みついて(そうよ、住むじゃなくて棲むなの)時々無性にその香りが懐かしくなるのよね。
少し前に鉢植えを売っていたのでよっぽど買おうかと思ったけど、踏みとどまりました。
なにせ、サボテンも・・・ですからね。
ロビーに飾ってあったのだけど、そこらじゅうがその香りにみたされていました。
夜中に、一人でその空間にいたら、かなり危ないわ。
千葉の園芸学部は、以前から興味があったのよね。
公開講座とかあるんじゃないの?
ニオイバンマツリの写真をリューハハのブログで見て知ってたのよ。
だから、その谷のイメージがドワッと浮かびました。
あんな豪勢な花が人気のない谷一面に咲き乱れていたら、そりゃあ怖いだろう。。と思ったわけ。
だんだん思い出してきたぞ。。
「よのなかにたえて さくらのさかざらばはるのこゝろはのどけからまし」
この歌は花が人間の心を掻き立てるという事を的確に表現してるって言ってた。
花は自分を目立たせて、しかも食べられないように鮮やかな警戒色になってるんだって。
岡倉天心の茶の本の花の章を引用して、
花に対する感受性が男女で違うという事も言ってたよ。
花というものに対して、いろんなアプローチがあって、本当におもしろい話だった。
やっぱり大学の先生は話がおもしろくなくっちゃね!
1973年に書かれた「The Secret Life of Plants」by Peter Tompkins &Christopher Birdを当時の竹村健一訳による日本語タイトル「サボテンが喋った」の中で、植物を電子工学の世界から観察し、植物の発するオーラとかエネルギーとかを実際に記録したおもしろい本があります。
その中で、人と花(植物)の対話とか、植物がいかに人からの反応を受け取るのかと云う事が書かれています。
今のようにPCが発達していない時に、当時最先端の「電子工学」を駆使して記録された数字や写真は驚く事ばかりでした。
植物(花)は、一つの生命体を持った「生き物」であると言うことだそうです。
>闇に一輪咲いてたら視線を感じるはず。
花からはオーラ(電磁波)が出ているとのことです。
それを受け止められるか否かは、人の持つ感受性に作用されるとの事でした。
あれから、33年が過ぎました。
もっと進んだ研究がされてるんでしょうね。
長すぎるとのことで分けました。
前出の本の中で、池坊保子さんのコメントが載ってました。
「花と向きあって過ごしてきた歳月の中で、私は花にも心があることを知りました。だからこそ、草花に鋏を入れるときには、命の長らんことを念じて水切りをし、細やかな心配りと、いつくしみの思いを忘れないようにしているのです。
花も木も草も、私たち人間にさまざまなことを無言のうちに語りかけてくれます。私はこれまで無意識のうちに、そう感じていましたが、この本を読んで、そのことに科学的な裏付けがあるのを知り、わが意を得たりという思いがしました。」
科学的な裏づけって、今まで「感じていた事」が、「見える」ことなんですよね・・・・・
物事によっては、見えなくてもかまわないものもあるような気がする私です。
それに関するする実験、テレビで見たことあります。
サボテンに電位計をつけて、その変化を音に変換するやつ。一番反応したのは、隣の部屋で生きエビを熱湯に入れて殺した時。悲鳴のように反応していました。
テレビ番組を全面的に信用してるわけではないんですけどね。
転勤で家を空けている間に笹がはびこった事がありまして、コンクリートの塀の下から隣の畑に侵入していました。
必死で掘って根絶やしにしたのですが、笹の地下茎は、塀に近付くとまだ10センチ以上離れているのに急に下へ向きをかえて、塀の下を越えようとしていました。
目もないのに、どうやってわかるんでしょう?
うねうねと続く地下茎と格闘していると、笹を心から不気味だと思いました。
理解できないから起こる感情ですよね。
できれば理解したいなと思いますよ。(だれか教えてくださいな)
逆に私には植物を擬人化して単純に人間の感情をあてはめて考えることはできないかも。
>サボテンに電位計をつけて、その変化を音に変換するやつ。一番反応したのは、隣の部屋で生きエビを熱湯に入れて殺した時。悲鳴のように反応していました。
テレビ番組を全面的に信用してるわけではないんですけどね。
「サボテンが喋った」の38ページから40ページにかけて、その実験経過が書いてあります。
科学的仮説は、科学用語で表現すると、以下のようになります。
「植物の生命にはまだ定義されていない第一次知覚があり、動物の死がこの知覚能力を示す遠融刺戟として役立つ。この知覚能力は人間が関係していなくても、独自に機能することが示される。」
実験の結果、植物たちは熱湯の中ででのエビの死と同時に激しく反応したことが示された。と書かれています。
みたぽんさんが御覧になったのは、いつ頃のことですか?
笹との格闘たいへんだったでしょうね。
>目もないのに、どうやってわかるんでしょう?
やはり感知する能力があると考えるべきでしょうか。
>笹を心から不気味だと思いました。
理解できないから起こる感情ですよね。
理解したとしても、私なんかはやはり不気味だと思います。
>逆に私には植物を擬人化して単純に人間の感情をあてはめて考えることはできないかも。
花言葉ってステキですが、実際自然界で行われている花の持つ色や匂いや形などが、何らかの意味を持っているのであれば、そこにはやはり、一つの生命がある、としなけりゃならないんでしょうかね。
でも、綺麗な花を見ると私の心は弾んでしまいます。
きっと、花からのメッセージが届いているんでしょうね。
テレビ番組はかなり昔でした。
>やはり感知する能力があると考えるべきでしょうか。
そう思います。
鹿児島に住んでいる時、くらげがいつも大量に泳いでいる波除けプールが国道沿いにあって、いつも散歩がてら覗き込んでいました。くらげも目が見あたらないのに壁に近付くとひらりと反転して泳ぐんです。後で水族館でわかったけど、くらげのかさの縁に光に反応する『目』が無数に付いているそうです。
未知の感知する能力があるとしたら、植物はセンサーになるわけです。
植物電位で地震予知をしようとする人たちもいるようです。
http://www.jsedip.jp/3-papers/2004/H16-5_SEMS_TBP.pdf