沖縄慰霊の日
6/23日は沖縄慰霊の日なんだそうです。
8/6日、原爆記念日には、広島では朝サイレンが鳴り、みんなで黙祷を捧げる。
日本全国そうやって黙祷してるのかと思ってたけど、あれは広島だけ。
こっちでは、きわめて普通の日常生活です。
沖縄も同じ。
関東にいると、ほとんど沖縄慰霊の日のニュースはありません。
普段どおりの日常。
地方はそういう扱いなんですよ。
沖縄には行ったこともなく、全く興味もなかったけど、ひょんなことで沖縄の音楽をやるようになって、色々沖縄についての知識が増えました。
私は沖縄病ではないと常々思ってたけど、りっぱに沖縄のうんちくを語れるようになりました。それもこれも、沖縄音楽の相棒「しっぽ♪」のおかげです。
なにはともあれ、慰霊の日ということで、
沖縄病患者達が集っているサイトを紹介します。
(しっぽ♪が管理してるブログです。)
ぜひ行って見てください。
http://chibariyo.ti-da.net/
ディスカッション
コメント一覧
昨日は沖縄慰霊の日でしたね。
12時に黙祷を捧げるサイレンが鳴りました。
沖縄は今も米軍基地があり、戦争と隣り合わせの日常。
早く平和になるといいのですが…。
みたぽんさん、沖縄ファンなんですか?
こっちはすでに酷暑です(汗)
真夏にぜひめんそーれー♪
>相沢さん
天気予報を見ると、沖縄は太陽マークがいっぱい!
もう梅雨も明けて夏ですね!
自ら進んで沖縄ファンになったわけではないんですが、知れば知るほど、沖縄って興味深いです。
音楽も、風俗も、食べ物も。
私の生まれた町の近くにも米軍岩国基地がありまして、広島から金曜の夜に終電に乗ると、ディスコ帰り(はは、年代ばればれ)の兵隊達にからまれたり、妹のバイトしてたドーナツ屋さんでは、アメリカ人の殺人事件が起こってたり。。
お花見シーズンの夜桜では、兵隊が酔っ払ってあばれないように腰に銃を下げたMPが随所で監視してるという地域でした。
岩国基地は今後拡張されるらしいですね。
アメリカに対しては、基地と無縁の人達とは違う感情あると思う。親の代は今でも『進駐軍』って言うしね。
高校の文化祭で竜子が取り組んだ演劇のテーマは「ひめゆり」。負傷兵の看護のために動員された「ひめゆり部隊」の物語でした。被爆地といえど戦争の全容を知ることはなかなか難しく、沖縄の戦闘に関しても詳しく知らされてはいないのが現状ですね。ポスターやチラシを担当する中で、伝えたいことや色での表現に自分なりの思いを込めたようでした。
私達も、慰霊のモニュメントが建造されてマスコミに取り上げられるようになってから初めて認識するようになったといえるかもしれません。
竜子の舞台は、女学校の時、同じく動員されて飛行機を作っていたという義母と義父が復員してまもなく生まれた義姉と見ました。複雑な思いもあったでしょうね。
沖縄の歴史、日本史の中ではほとんど出てこなかったけど、調べると戦争以前からとっても興味深いよ。
沖縄が、生産地の北海道から遠く離れているのに昆布消費量日本一である理由は、遠く江戸時代、薩摩支配下に由来する。
北前船により、北海道の昆布が上方に運ばれ、薩摩は沖縄で作らせている砂糖を上方で昆布と交換し、それを中国に輸出して利益を上げていたという。こうして貯めた資金は倒幕の際に役立った、、とかね。
戦後、パスポートを持って日本にやってきた年代の人の話を聞くと、ベトナム戦争の時の沖縄がどういう状況だったのかっていうのが、生き生きと感じられます。
私は学校でやった社会歴史は大嫌いだけど、こうやって、身近なところから知ってゆくと、すんなり頭にはいるわ。