たーちゃん逝く
段ボールにたーちゃんとお花を入れて、娘たちとペットセレモニーに持って行ったら、とっても丁寧に扱ってくれました。
待ってる間、蝉がお経を読んでくれました。
小さな骨を拾って、小さな骨つぼに入れてもらい、精進落としに回転寿司で高いネタをはらいっぱい食べて、なんかさっぱりした。
こういう儀式っぽい事って本当は大事なのかもしれないと思いました。
それと、今回は娘達の行動にずいぶん慰められました。
彼女等は猫を殺害したり小さい子供を殺したりするような人間にはならないだろうと確信しました。
少々デブだったりブスだったりバカだとしても、本当に良い娘に育ってくれたわ。
彼女らの成長に5年間もつきあってくれた、たーちゃんに感謝します!
普段ほとんど寝てた動物だから、あんまりいなくなった気がしないです。
1週間程ケージもそのままにしておこうとおもいます。
1週間たったら、ケージも片付けて、たーちゃんをバラの根元に埋めよう。
たーちゃん、妖怪「すねこすり」になって、うちに住み着いてもいいよ!
ディスカッション
コメント一覧
我が家の猫も今年3月に死にました。
息子が可愛がって、文字通り猫ッ可愛がりしていた猫ですが、ちょうど修学旅行で息子が家を空けている間に死にました。
それも運命なのでしょうが、その後2ヶ月近く毎晩、猫の死骸を埋めた場所まで、息子はろうそくを立てに行っていました。
何だか、猫が未練を引きずるようでいやだったのですが、死に目に会えなかった息子の気持ちを慮って、やりたいようにやらせました。
今は吹っ切れたようで、通っていません。
猫のお墓は周りが草木に覆われてしまって、どこにあるのかさえ分からなくなってしまいました。
こうでなくっちゃいけませんね。
「逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎(す)てず」です。
いつか別れが来るとわかっていても悲しく寂しいものです。私なんか30匹を越える犬猫と暮らしていて、又たくさんの不幸な犬猫と関わって、その死をいっぱい経験しました。でも何度経験してもなれる事はありません。「たーちゃん、幸福だったね」と言ってあげたいです。今「きっこの日記」というプログで知った坂東という女性作家が日経新聞に書いた「子猫殺し」が反響を呼んでいます。自称猫好きという人が、勝手な理屈で避妊も生まれた子猫を殺す事も同じと言っている事に腹立たしさを越えて怖さを感じます。
今朝嬉しい事が・・薔薇のアーチに山鳩の番が新居を構えたようなのです。
>塾長さん
そうでしたね。
よそのペットが死んだ話は読み飛ばせても、自分のペットが死ぬとこんなにショック。人間って勝手なもんです。
息子君、2ヶ月も蝋燭を立ててたんですか。
本当に可愛がってたんですね。
しっかりお別れできたら、しゃんと立ち直れる事も学んだのでしょう。
>にゃんこさん
3歳を過ぎる頃まで、あんまり情は移らなかったんですよ。
だって、噛み付くし、呼んでも来ないし、抱き上げると身をよじってすり抜けるし、餌で釣ろうとしても、ケージの外ではぜったいに何も食べないし。。
それが、4歳を過ぎた頃から、呼べば来るどころか、芸までするようになってきて。
そうなると、可愛さ倍増です。でも、5歳くらいから病気が増えるし、8歳までに大抵死ぬと聞いて、あらかじめ覚悟をするためにブログを始めたようなものです。
しかし、覚悟は貯められないものらしく、あんなに覚悟してたのに、しっかり悲しかったです。
>にゃんこさん
板東という作家って、調べたら「坂東眞砂子」なんですね!
今朝の日経新聞に記事が出てました。
坂東眞砂子の小説、何作か読みました。「死国」は面白かったです。
親と子の情愛もからんだ、いい小説ですよ。
芸術家っていうのは、紙一重の人おおいですよね。
芸術家っていうのは、そういう風にしか生きられない人間なんだと思います。
一般人は、安全な場所から彼等の深淵を覗くわけです。
なぜ覗き込むかというと、実は自分達の中にもそういう恐ろしい部分が必ずあるから。
芸術家じゃなくてよかった。
芸術家は修羅の中に生きているはずです。