6月の雪
久しぶりに本屋を覗いたら、文庫本のコーナーに詩集が積んでありました。
「工藤直子」「金子みすず」「長田弘」…売れ筋選んでるねえ。
ん?「吉野弘」?見覚えあるような無いような。。
ぱらぱらとめくったら、高校の時に合唱で歌った「雪の日に」がありました。
そうか、あの曲の詩を書いた人なんだ。
体は本屋にいながら、気持は一気に何十年もトリップ!
覚えてるもんですねメロディーライン。
高音部からころがりおちるようなピアノ伴奏が一気に入る。
歌は三声のフォルテから始まる。
「口をはっきり開けて、ちゃんと子音を発音して!」なんて、先生の指導もなつかしい。
今、客観的に詩として見ると、恥ずかしげもなく悩む青少年の風情です。
でも、あの頃はそんな事考えもしなかった。
「風が」っていう曲も、「弦」っていう曲も好きでした。
ネットってすごい。あの曲にまた会えるとはおもわなかった。。
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雪が激しく降りつづける
雪の白さをこらえながら
欺きやすい 雪の白さ
誰もが信じる 雪の白さ
信じられている雪は切ない
何処に純白なこころなどあろう
何処に汚れぬ雪などあろう
雪が激しく降りつづける
うわべの白さで輝きながら
うわべの白さを堪えながら
雪は汚れぬものとして
いつまでも白いものとして
空の高みに生まれたのだ
その哀しみをどう降らそう
雪はひとたび降り始めると あとからあとから振りつづく
雪の汚れを隠すため
純白を花弁のように重ねていって
あとからあとから重ねていって
雪の汚れを隠すのだ
雪が激しく降りつづける
雪はおのれをどうしたら 欺かないで生きられるだろう
それが最早自らの手に負えなくなってしまったかのように
雪は激しく降りつづける
雪の上に雪が その上から雪が
たとえようのない重さで 音もなく重なってゆく
重ねられてゆく
重なってゆく
重ねられてゆく
ディスカッション
コメント一覧
こんにちは。
学校で習ったメロディーを聴くと学生時代に戻っちゃう気持ち、分かります!
「翼をください」って曲を聴くと、中学時代を思い出すんですよ。
年に1回の合唱コンクールで、よく歌われる曲だったからだと思います。
ずいぶん前のことなのに、よく覚えてるもんですよね~。
>相沢さん
はじめまして。詩人さんなんですか?すてき!
読ませていただきます。
「吉野弘」、あなどれません。
合唱曲としてしか記憶になかったけど、文字になると、なんかかっこいいです。
ついでに、「弦」と「心の四季」ものっけておきます。
たぶん、なつかしがる人が来ると思うから。
組曲「ひたすらな道」より・ 作詩:高野喜久雄. 作曲:高田三郎
今 私は願う
私はただの絃 一筋の切なる絃でありたいと
その両端が何であれ
苦しい私の何であれ
ひたすらに 問いも忘れ 言葉も忘れ
厳しくさかむきの力に耐えて張られた ただの絃
ぎりぎりの力で張られ
ぎりぎりの力で踏み耐える
ぎりぎりの絃の命を
命とした絃
そして 私は私をつま弾く
聞こえるうちは だめなのだ
まだ だめなのだ
”最も高い音は音として
誰の耳にも聞こえない”
あの聞こえない高さで鳴り響く絃
また その高さに耐える絃
”結して切れず
結して ひるまず
結して ある訳 張られた訳を歌わない絃 ”
証は いつも この絃の
この非常な高さからのみ やってくると思われてならない
とある夕暮れ イナゴのような目をつむる
傷口のような口を閉じ そして私は一途に思うあの絃だ
人の耳には ただの沈黙 ただのオシとしてしか響かない絃
”あの命をこそ命としたいと)
風が
風が桜の花びらを散らす
春がそれだけ弱まってくる
ひとひら ひとひら 舞い落ちるたびに
――人は 見えない時間に吹かれている
光が葡萄の丸い頬をみがく
夏がそれだけ輝きを増す
内に床しい味わいを湛え
――人は 見えない時間にみがかれている
雨が銀杏の金の葉を落とす
秋がそれだけ透き通ってくる
うすいレースの糸を抜かれて
――・・・・・・・・・・・・
雪がすべてを真っ白に包む
冬がそれだけ汚れやすくなる
汚れを包もうと また雪が降る
――私は 見えない時間に包まれている
吉野弘 作詩
あれーー、私も歌ったんだよね。
覚えてないよ。
ちょっと、歌ってみてよ。
でも、「風邪は、じゃなくて「風は」は好きだったなあ。
こっちは、今でもちゃんと歌える。
ほんとうだ。
相沢さんって詩人さんなのですね。
私も読ませていただきます。
>みたぽん
「風は」じゃなくて、「風が」だね。
目だけは良かったんだけに悲しいなあ。
改めて読むときれいな詩だよね。
秋が好き。
レースの糸を抜く・・のか。
今、虎子の浴衣を着付け中。
汗、汗。
だって、とうかさんだからね。
>リューハハ
いい歌だったね、メロディーも素直で。
春爛漫を歌うのではなく、春が弱まっていくのを歌うなんて、なんて日本的。
徒然草155段を思い出しました。
春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。
『とうかさん』そんな時期なんだね。。
いいなあ、広島は。
なんか、最近、冴えてません?
玄米って、脳みそにいいのかも。
たくさん食べてみようっと。
学生時代に冴えていたら、こんな境遇にはならなかったものを。。(内職おばさんより)
>シンクロ二シティー
あっ、これは母さんちのコメントの題名でしたね。
でも、みたぽんさんは、ポリスのファンでいらっしゃいますか?
ポリスのアルバムに同名のものがありますけど。
それが言いたかったわけじゃなく、徒然草155段は以前私がブログで引用した覚えがあるものですから、思わず、あっと思った次第です。(いつだったか、本当にそうだったか、また調べておきます、大した記事じゃないですけど)
>母さん
玄米は頭にいいのかなあ。
よく分かりませんけど、ビールよりはいいとは思いますよ。
ビール飲みすぎると、訳が分からなくなりますが、玄米食べ過ぎても、お腹は痛くなりませんから。
>塾長さん
ポリスのファンじゃないです。
とある友人が怪しい事を言い始めた時期がありまして。彼女が私の体験とあまりにも同じ体験をすると言うので調べたらそういうのを「シンクロニシティー」と言うらしく、ユング心理学に行き当たった。
でも結局ね、その人は多分精神的にちょいとバランスくずしてたみたい。何か聞こえるらしかったから。。。あの時は私は混乱しましたわ。
リューハハも私も極めて正常だと思う。
なのに同じ行動が多いのは、成長過程であまりにも密接に時間を過ごしたので、たぶん性格の傾向がどこか似てるからだと思うのです。
十分偶然の範疇だから、シンクロにシティーとは言わない方がいいですね。